事故

平成8年5月19日僕は交通事故に遭いました。

愛車のHONDA CBR250RR(90年型。フロントディスクがまだシングルのタイプ)に乗って。

 

実は事故の記憶は未だに全くないんです。

逆行性健忘と言うんですが、覚えているのは出先をバイクで発進したところまで。

どの道をどう行ったのかも覚えていません。

 

大阪府三島救命救急センターに運ばれ、その後、関西医科大学救命救急センターに移送されました。そこで手術であちこちバラバラになった肋骨だの、粉々になった脊椎などを固定していただいたんだそうです。意識が戻ったのは術後数日経った関西医科大学病院のベットの上。その後の記憶も、鎮静剤等のお陰でかなり混乱しています。

 

母曰く、「今手術を行うと命が無くなるかもしれません。」と言われたんだそうです。

 

意識が戻って最初に覚えているのは、ベットサイドにいる家族の顔でした。

兄に「名前は、」と聞かれて「サワグチ***。」と答えた記憶があります。

それから右手を持って握ってみるようにと言われて握り返した覚えがあります。

何でそんなことを聞いたのかというと、右の鎖骨が折れていて、右腕の神経が「引き抜き損傷」でダメになっているかもしれないと家族は聞かされていたんだそうです。

 

主治医の先生からすぐに自分の病状の説明を受けました。自分の胸部レントゲン、胸のCTをみて、「なんじゃこれは!」と思った記憶があります。バラバラになった肋骨と粉々になった胸椎をみて一番最初に考えたのは「死んだなこの人は。」でした。次にその写真が自分のものと分かると、「よく生きているなあ。」でした。(まるで他人事のようですが、)そして、「とりあえず助かったんだ。」と思いました。

 

その後まあ、色々とあったんですが、ここで言いたいのはそういう事ではなくて。

 

普通、脊髄損傷になると、障害を持ったことに対する精神的ダメージがとても大きいらしいんですが、障害者になった事に対して悲観的になったことはないんです。(その他のダメージはでかかったんですがそれは置いといて)意識が戻って、腕が動くようになって、とりあえず、自分で本が読めるようになると、(気管切開して人工呼吸器は着いていましたが)兄が持ってきてくれた脊髄損傷関係の本を一通り読みました。自分の障害がどの程度か、今後どのようなリハビリが必要で、どんな生活が出来るようになるか、大体の所は分かってしまいました。その時に抱いたイメージに現在はほぼ近い状態になってきています。

仕事も始まり、住むところも出来、(改装もほぼ完了)自分で車を運転して、買い物に出かけ、こうやってホームページを作っている。

障害者になって、出来ない事はいっぱいあるけど、出来ることもいっぱいあります。

 

なんて言うか、中学でバレーボールを習い始めた時の気持ちでした。昨日出来なかった事が今日出来るようになる喜び、といったらいいんでしょうか。

徐々に体力が回復していくのが実感としてあるんですね。声が出せなくって筆談で意志の疎通を図ろうとしても、鉛筆を紙に押しつける筆圧さえ最初はなかった。(ペンだと力要らなかったんだけど)退院するときには、片手で17.5kgのダンベルを持ち上げていました。

 

結局、事故でこの身体になって、日常生活に対する感覚が全く変わってしまいました。未だに

「あっ、こういうことも出来るんだ!」

という発見の毎日なんですね。そして、

「どうしたら、出来るようになるんだろう?」

と考える毎日でもあるんです。

 

おかげで町中に一人で出てはうろうろするようになってしまいました。

 

 

障害者についての情報はWE'LL NET

[トップページへ]