仕事について

本日で大分に来て丸3年経ったということで、来た頃の話しを。

大分での就職にあたって、母親が「話しを受けるとは思ってなかったのでびっくりした。」

と言ったくらい簡単に話しが決まった理由はとても簡単なんです。

リハビリ施設への入所を断って、熊本で家を買って暮らそうとほぼ決まっていた頃。でも、就職への手がかりはまだ何も無かった。ある意味、「どうにでもなれ。」とヤケになっていたと思います。

流れのままに、とりあえず他にやることも無いので、「やってみっか」という軽い気持ちで受けたというのが本当のところ。

仕事の詳しい内容も聞かず、大分に面接に行った時にサワグチが聞いたのは、「本当に僕でいいんですか?」

だけ。車いすに乗った僕を直接見ていただいた上で、「やる気があれば」というお応えだったので、その場で「宜しくお願いします。」と決めてしまいました。

今だから言えるここだけの話しですが、”使い物にならなきゃ向こうからお払い箱にしてくれるだろう”と、とってもやる気の無い考えだったんです。(>||<)すいません。

実際、本当なら日常生活訓練を自宅でする過程が必要なのに、退院=就職ということになってしまった為、日常生活訓練を試行錯誤しながら同時に仕事が始まってしまうという、えらいことになってしまいました。

「リハビリだと思って働いて下さい。」という言葉を素直に信じて、1997年10月22日に退院、一応11月1日をもって仕事が始まりました。

最初は職場に30分出ただけで、緊張の為か、何も考える気力が無くなって(紙に書いてある文字が読めなくなった)、さっさと自分の部屋に戻ってベットにもぐり込みました。

住み込みだから出来たことで、通勤だったら絶対無理だったですね。1997年の11月の時点では、介助で車の乗り降りをするだけでも体力を大変消耗してましたから。

初めての職場で、何をどうしていいのか全然分からない状況で、「自分に何が出来るのか?」という自問自答の繰り返し。

最初に、ノルマとか、勤務時間がどうとかきちっと決まっていたらこれも絶対続かなかったですね。(絶対その通りやるのは無理だったから)

肉体的な制限で出来ないことも一杯ありました。現在はいくらか工夫して出来るようになったこともありますが、当時は、「身体が動かないのでしょうがないんだ」と割り切ることにしてました。問題は精神的な方で、約一年半の入院生活で萎えてしまった仕事への自信をそれなりに取り戻すことが、ものすごくしんどかったです。

一般的には、中途障害者は、健常だった頃とのギャップが大きければ大きいほど、障害の受容や社会への適応が困難なんだそうですが、サワグチもこと仕事に関しては、健常だった頃に比べて明らかに身体&思考能力が低下している事実に直面せざるをえなくて、

”人手が足りなくって、猫の手でも、障害者の手でも職場が欲しがってるんだ。だからこんな僕でもここにいてもいいんだ”と、ずっと自分に言い聞かせてました。(本当かどうかは怖くて聞いてないので知りません)

最初の数ヶ月は、はっきり言って、給料をいただける程のことはほとんど何も出来てなかったんじゃないかと思っています。

 

現在は、職場で自分なりにそれなりに仕事をこなしている(存在価値を認められている)という自信はあります。

でも、それは、ここに至るまで僕に色々気遣ってくれた職場のお陰であることは確かです。

その自信も、絶対的な物ではなく、現在の環境だからこそ保てる程度の何とも”自信の無い”自信なのです。

 

ホームページでは、僕の”出来ること”の話しが多いですが、”出来ないこと”も一杯あります。

”出来ないこと”シリーズもホームページネタにするのもそろそろいいかもしれませんね。

 

2000/10/22(Sun)作成

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